自分のアタマで考えてみた

考えることがすきな人生は幸せだ。思考の自由を謳歌した人生を体現するブログ。

当人にとって合理的な世界をどう解釈するか

そりの合わない人というのは、どうしてそのような発想になっているのか、言動をとるのかがわからない人のことが多いだろう。自分の感覚からは理解しがたいような存在であるのではないだろうか。

しかしながら、彼らの発想は当人にとっては合理的であるという事実が存在する。

(まあ、物はとらえようなのだが。)

というのも、すごく簡単なたとえを用いて説明すると、

ダイエットを猛烈に頑張るAさんとBさんがいる。Aさんにとって減量は悲願の目標であり命懸けだ。Bさんは、半ば話題作りでダイエットに取り組んでいるとしよう。Bさんが途中で減量をやめてリバウンドしたときに、AさんはBさんを理解しがたい状況に陥る。なんで、ダイエットを頑張るといって頑張らないのかと。しかし、Bさんにとって、減量よりも話題作りという意識が当初からあったのだから、成功しても失敗しても面白い話題ができればそれでよいのだ。だから、Bさんにとってリバウンドすることが非合理的ではないのだ。

この単純な話が、現実の人間関係においては、顕在化しており複雑化しているため、我々にはそりの合わない人が存在してくる。学校や職場で出会って数か月の人の考えを人生のバックグラウンドから推察しどうしてそのような言動になるのかを考えることは難しい。

そういった意味で、人はある程度共通の価値観を持つ人を好むのだろうか。

私は、そのある程度を極力小さくしたい。そうすれば、自分が知らない価値観を知ることができるのだから。

 

という話。