資本主義の中で
資本主義の中でというか、
他人との競争において勝つ人は、一喜一憂せずに淡々とタスクをこなす。
対して、ひとつひとつのことに一喜一憂しながら感情を最大限にセンシティブにして生きていく生き方も素敵な気もする。ただ、社会的に見れば、後者の生き方はあまり好ましくはないかもしれない。
それは、資本主義という社会システムの下に生きる上で、より生産的で効率的な生き方が好まれるからだ。基本的に、資本主義の下では、価値はアウトプットによってしか伝わらないのではないだろうか。
内在的に存在する、自己に蓄積された財産は誰にも評価できないから、資本主義界では無価値である。
しゃべりが下手な人、人に伝えることが下手な人は、こうして自己肯定感が低くなってしまうのだろうか。
別に資本主義を否定しているわけではなくて、資本主義であるが故の一面的なとらえ方を思いのままに書いてみた。
自己嫌悪
1日のスタートが最も大事。まずは、やることをひとつづつやって終わらせてしまえ。
次に、コーヒー飲んで覚醒させろ。
あとは、やらなければならないことを明確化しておき、とりあえず取り掛かる。とりあえず。でいい。
あとは、自己肯定していけ。とにかくネガティブな感情に惑わされずに、自分自身を肯定していけ。思考は現実化する。
大体、これらのことだけできれば、まあまあ良い1日が完成する。
以上
俺は、どれだけぼうっとしていたのか。
最近、期限が迫る仕事が多く、真面目に取り組んでいる。
そこで気づいたのは、これまでの怠慢さとその原因についてであった。
どうして、いつも怠慢であったのか、そしてすぐに集中力が欠けていたのか。浪人時代はかくも集中力が途切れることはあまりなかったのに。
それは、私の性格としてタスクを一つ一つつぶす感覚が好きで、人にあまり作業中は干渉されたくないというものに由来する。
つまり、騒音に関する普通レベルの環境と、全体を俯瞰した上でタスクを明確化し常に更新し続けることで僕の集中力は伸びるのである。
ということは、いよいよ勉強に集中し、学者への道が開けてくる時期なのだろうか。と期待することもなく明日も机に向かう。
当人にとって合理的な世界をどう解釈するか
そりの合わない人というのは、どうしてそのような発想になっているのか、言動をとるのかがわからない人のことが多いだろう。自分の感覚からは理解しがたいような存在であるのではないだろうか。
しかしながら、彼らの発想は当人にとっては合理的であるという事実が存在する。
(まあ、物はとらえようなのだが。)
というのも、すごく簡単なたとえを用いて説明すると、
ダイエットを猛烈に頑張るAさんとBさんがいる。Aさんにとって減量は悲願の目標であり命懸けだ。Bさんは、半ば話題作りでダイエットに取り組んでいるとしよう。Bさんが途中で減量をやめてリバウンドしたときに、AさんはBさんを理解しがたい状況に陥る。なんで、ダイエットを頑張るといって頑張らないのかと。しかし、Bさんにとって、減量よりも話題作りという意識が当初からあったのだから、成功しても失敗しても面白い話題ができればそれでよいのだ。だから、Bさんにとってリバウンドすることが非合理的ではないのだ。
この単純な話が、現実の人間関係においては、顕在化しており複雑化しているため、我々にはそりの合わない人が存在してくる。学校や職場で出会って数か月の人の考えを人生のバックグラウンドから推察しどうしてそのような言動になるのかを考えることは難しい。
そういった意味で、人はある程度共通の価値観を持つ人を好むのだろうか。
私は、そのある程度を極力小さくしたい。そうすれば、自分が知らない価値観を知ることができるのだから。
という話。
アウトプットの目的は何か
なるほど、面白いブログをチラ見して、なんとなくわかったことがある。
それは読みやすいしわかりやすいということ。
この人たちは、自分のブログを読んで欲しい感というか、伝えたい感がとてつもなくある。対して、このブログには全く感じない。
俺はそんなに読んで欲しいわけではないからなあと、、
でも、よくよく考えてみたら、それってアウトプットではなくて、自分の頭の中を文章にしただけ。(一応アウトプットではありそうだけれども、)人に伝わる表現まで落とし込まない限り、アウトプットの質は高まらないのでは?と考えた。
他人が僕の文章を読み、容易に理解し創造できるような文章を書ける能力を手に入れることで、
初めて他人と自分の脳内が意思疎通ができ新たなステージに行くことができる気がした。自己開示を自らしてこなかった自分にとって大きな前進となる気がした。
と、感じたことを殴り書きする自分は、果たして他人に伝わるアウトプットの質まで上げられているか謎であるが。備忘録として。
学生生活の目標
学生を小学生から始まるとすれば、
小学校6年
中学校3年
高校3年
浪人1年
大学4年
大学院2年
計17年間過ごしたが学生期間が終わろうとしている。
いろいろあった。楽しい思い出でいっぱいである。
さて、題名の通り今回は目標を大雑把に考える。
英語TOEIC 800点台(現在605点)
簿記2級取得 2月実施試験
早寝早起きの習慣→午前中に集中する時間が長くほしい
個人事業主として何かをやってビジネスの現場で何かを得たい
修士研究をやり切る
控えめに、上記の目標に向けてやらないといけない。
ちなみに、これらの目標を学生生活の目標とした理由は、
時間のある大学生であることを加味し、社会人へのベース能力を上げたいという思いがあったからだ。
英語に関しては、これからの時代自動翻訳機が出てくると思うが、やはり生身の人間として話せたほうが感情が通じるからやるべきであると感じる。
簿記2級は、落合陽一が言っていた。というのは、冗談で内定先必須の資格だからだ。
また、内定先の仕事内容を考慮すると、ビジネスの現場を少しでも経験したほうが良いので、実際に経験できる体験をしたい。
あとは、研究に対して真摯に向き合い、しっかりと何らかの成果を残したいとも考えている。
早寝早起きは、大学生活で狂った習慣を戻し、なおかつその他の目標を達成するための環境整備という意味合いが大きい。
というわけで、頑張ります。
これでブログを書くのをやめたら、何にも手に入れることができないだろう。
目標を立てた裏の、軽い背景だけじゃ実際に実行段階で苦しくなる。
明日から実行していくうえで、現実ベースでどのようにやっていけばよいのかをちゃんと考えていくべきである。別に、目標を達成することに固執しすぎることはないと考えていて、それは目標を立てた背景に合致していれば多少の目標の表面的な見た目は変わってもいいと思う。そのくらいのスタンスで3日坊主にならないようにやっていこう。
以上、現場からでした。
P.S.毎日ブログという手段で、アウトプットをするというのも付け加えよう。
あと、筋トレ、ダイエットも。
こうやって、あふれ出す欲を止められずに人間は初志を忘れていくのだろうか。