自分のアタマで考えてみた

考えることがすきな人生は幸せだ。思考の自由を謳歌した人生を体現するブログ。

1年前からの成長ができるように

友人に影響を受けてブログを始めたのが、1年前。そこから記事を更新すること3回ほど。そして、約1年後の今、もう一度アウトプットの場として、ブログを利用することにする。

 

アウトプットの少なさに問題意識を持ちながら、この1年間何をしていたのだろうかと感じる。基本的に聞き手になる私は、アウトプットをすることが少ないため、自分の確固たる軸を創造できずにいる。アウトプットすることで、頭の中を構造化することが可能であるし、ひょっとしたら他人の知見や意見を知れる機会と化すかもしれない。

というわけで、今回またアウトプットの場として挑戦する。

 

やればいいことに気付いている人は多いが、実際に継続してやり続けることができる人間になりたい。

 

とにかく、自分が今までに溜めた知見や経験・マインドの持ち方・アイディアなどとにかく思ったことをこのブログにとにかく書いていく。

 

1年後もアウトプットしていますように。

理 オムニバス

1番

常識は、強者が整えた。

常識を変えるための勢力は、強者が取り巻く世界から圧倒的な非難にさらされる。

しかし、強者からの非難はいつしか世間からの称賛に変わっている。

 

2番

目の前のちっちゃい仕事こそすぐに終わらせる。大きな仕事から始めようとして生きず待った時に、自分はあんな小さいこともできないのかと落胆して、熱が冷めてしまうから。

 

 

推量

1.気持ちをわかってあげる

 

他人の気持ちをわかるとは、難しい。

言葉を反芻し、解釈した気持ちを過去の自分のデータから探る。そして、最も近しいと感じる気持ちを、他人の気持ちと仮定し分かったつもりになる。

おそらく、完全に理解することは無理なのだろう。

ということは、訳が分からなくなるほどたくさんの経験した方が他人の感情と共鳴しあえる心を持てる。

 

リアリズムとアイディアリズム

1.現在

2.リアリズムとアイディアリズム

 

インターネットテクノロジーが発達している現在、人類の歴史の中で最も早い速度で進化している。

進化が早い状況下では、定説の否認が起こりやすい。

一昔前は、、、などといったことが起こりやすくなっている。

 

そんな現代に重宝されるのが、リアリズムという考え方である。対義語であるアイディアリズムというのは、思想や考えがあって社会がつくられていくというような理想主義である。事実に基づいた社会がつくられているというのが現実主義、リアリズムである。

 

近年の書店の流行図書に目を向ければ、行動経済学やビックデータ、地政学という単語が目立つ。

伝統的経済学では説明できない部分を現実に基づいて理論を立てた行動経済学、リアルから得られる膨大なデータを示すビックデータ、歴史を善悪ではなく勝ったものが強いというリアルな世界からみた地政学。これらのように、変化速度が早い世の中リアリズムに即した本が多くなってきているのは紛れもない事実であるように感じる。

 

アイディアリズム

 歴史

 伝統的経済学

リアリズム

 地政学

 行動経済学

 ビックデータを利用したマーケティング

 

 

目の前に起きている現象こそが真理なんですな。

その真理に対応するべく、変化速度の速い現在はリアリズムが広がりつつあるのでしょうか。現実中心主義の行きつく先は、、、これから先の世界は、理論が消えてしまったりして。

就職活動の本質と自己分析

1.就職活動の本質

2.本質をとらえた自己分析

 

何のための就職活動なのか。

企業と学生から考えて。

 

私は思う、もし個性が形ならば、企業が求める形と面接で伝える形が一致しているかの確認作業が就職活動であると。

 

営利企業、特に上場企業は、利益を上げることこそが生命線である。その利益に貢献する可能性が高い形を人事部が判断していく、それが面接の場ではないか。誤解しないでほしいのは、人事部が決める形は多種多様であるということ。マッチング。

 

多くの企業に受かる学生が一概に優秀ではないというのは、多くの企業が欲する形を持っていたという事実に過ぎないからである。

 

ここで重要となってくるのは、自己分析と巷で言われているものである。自分の形を認識する作業である。

まずは、自分の素の形を把握しなければ戦略の立てようがない。

どうしても、行きたい業界や会社がある場合は、自らの形を認識したうえで形を変えて見せる手段も使うことだろう。前述した「多くの企業に受かる学生が一概に優秀ではないというのは、多くの企業が欲する形を持っていたという事実に過ぎないからである」に追記すれば、内定を多くとる彼らは、本質的な優秀さというよりは形を変える器用さが優れているのである。

 

形には本当の形と見せている形の2種類がある。

個の器用さを求めるような職種、例えば臨機応変な頭の回転や話術が特に求められる営業や接客業、コンサルなどは本当の形よりも、見えている形を優先するかもしれない。

対して、本当の形が求める形と一致していることが活躍する条件と考えているならば、本当の形を重視するだろう。

 

だから、素の自分と変えた形を認識することは重要なのだ。

 

まずは、自らの等身大の形を見つけ出す。見つけ出すと同時に、社会に存在するさまざまなビジネスの形と流れと求められる形を認識していく。これらが両輪となって、就職活動において戦略を練っていく。これが、きれいごとを抜いた就活だと思う。

 

まとまってない。な。

 

 

アウトプットとしてのブログ

お品書き

1.ブログはなぜ根強い人気があるか

2.ブログに求めること

 

 

 

ブログが一世を風靡した時代から10年以上たった今でも、ブログは情報収集の手段や気晴らしとして確固たる地位を築いています。

 

その理由は、何か考えたことがありますか?

 

考えるに、発信する側のメリットと、受信する側のメリットが時代に影響されないものだからです。

両者にぶれないメリットがあるからこそ、流行を超えた存在であるのでしょう。

 

発信する側のメリットとしては、暗黙知形式知化や、形式知の整理をアウトプットを通して実現できるという点。

暗黙知というのは、言葉にできない知識です。一橋大学名誉教授である野中郁次郎氏が考案したもので、知識を言語化できるか否かで暗黙知形式知に分けました。例を挙げれば、自転車の運転の操作技術です。言葉だけで運転を伝えることは難しいですよね。この暗黙知をブログの記事として大衆に発信するために形式知化する必要があります。これが、暗黙知形式知化です。

また、形式知を体系化して伝えやすくする整理も必要です。

 

受信する側は、インターネット上に存在する無数のブログの中から自分のリアルタイムに欲する情報をピンポイントで入手できる点であると考えられます。

ひとそれぞれ、時とともに欲する情報が変化してきます。その変化にリアルタイムに対応するためには、それぞれの分野の専門家が必要です。ブログの軸は多様ですが、専門を軸としているブログは多々あります。その専門が、時を超えてリアルタイムな受信する側の欲求とマッチしていくのです。

この話をもっと簡単に言えば、ブログとは個です。個性が消えたブログはありません。受信する側が個を持っている以上、それに対応が近い個が存在するわけです。その近い個を覗くことができるブログは、受信側の個を満足させることができるのです。

 

と、客観的な点からブログを考えたところで、次に個人としてのブログのとらえ方を書いていきます。

 

僕が、ブログに求めることは、アウトプットの場です。普段、生活しているとアウトプットの制限が気づかぬうちにかかっていることが多いように感じます。例えば、友人の性格や、職場の雰囲気など普段生活する中でおのずと影響を受けてしまっていると感じます。だからこそ、対自分だけで、周囲のニーズを無視したアウトプットする場が欲しくてブログにたどり着きました。

そして、友人たちがブログをアウトプットの場として利用し、豊かな表情を得ているのを見ているとこれに乗らない手はありません。同じ上昇気流に乗りたいのです。

 

ということでこれから、清らかな発信の場としてブログを利用していきます。